貴帆通信 2016/07/26(現地時間)Éric Tabarly & Jacqueline Tabarly(エリックタバルリーとジャクリーンタバルリー)
シャンパンのお礼をキチンとしたかった。
彼女との出会いはプリマスの公式晩餐会だった。
DressCodeは燕尾服だったが、私は日本人ということで紋付袴での出席を承諾して貰っていた。
「その着物素敵ね、私も公式行事には民俗衣装を着るの」
とある淑女から優しく品格のある笑みで声をかけて頂いた。
その時は彼女が何者かわからなかったが、その面影は何故か脳裏から離れなかった。
ロリアンのマリーナbassに大きな肖像画が何かを見つめている。
トレーニングでは、毎朝必ずその前を通り貴帆に向かう。
誰だかわからないが、何か凄い事をした人なんだろうと思っていた。
The Transat でサンマロからプリマスまでのプレレースのスタート前、レース冊子を眺めた。
「あれっロリアンの肖像画の人だ!」1964年、私が生まれた年に開催されたThe Transatで優勝したんだ。
ロリアンの壁画はタバルリーだった。
The Transatで勝つことは凄い事で、きっとこの人は様々な偉業を成し遂げた英雄なのだなと思った。
PlymouthのSutton Harbour マリーナで、現世の英雄ロイックに「俺の船に来いよ」と古い船に誘われ色んな話を聞かされたが、その船にどんな由来があるのかは聞かされなかった。
なぜロイックはこの古い船でレースをするのか?イベントの一環なのであろうと思った。
流石のロイックも大荒れのレースに完走を断念して途中から引き返すことになった。
後で知ることになるが、その船がタバルリーのペンデュィックだったのだ。
つまり英雄が英雄の艇でThe Transatに挑んだのだ。
ロリアンでタバルリーの肖像画が見つめていた先に係留されていたのが、そのペンデュィックだったのだ。
私は3度の50ノットを乗り越えて、ニューヨークのフィニッシュラインを越えることが出来た。
レース前に何故この大変なレースに参戦するのかと散々質問されたが、スタートしてはじめてその大変さがわかった。(苦笑い)
早春の北大西洋は、目まぐるしくかわる低気圧、低気温、向かい風、氷山など、かなり難しいレースだったのだ。
タイタニックが沈むわけだ。
ニューヨークにフィニッシュして、One15° Brooklyn Marina に着岸後レース委員会からシャンパンで迎えて頂き多くの人から歓迎を受けた。
その人影の奥からスッと現れ、新たなシャンパンを手渡され迎えてくれたのが彼女だった。
なぜ彼女が此処に?
その時初めてタバルリーの奥様だと知らされた。
色んな話をしたかったが、取材やら何やらでバタバタして、きちんとお礼ができなかったのが心残りだった。
ニューヨークでの作業を終え帰国した。
船の艤装に幾つもの損傷があったのでQuébecーサンマロに参戦するか、ロリアンまでデリバリーして修理をするのか決めるには時間がかかった。
ジャンの努力によりレースができるよう最低限の修理整備か出来たのでQuébecに舵を切ることにした。
そしてQuébecをスタートしサンマロにフィニッシュした。
タバルリーの奥様にあってキチンとお礼を言いたい。誰か連絡先を知らないか?
若い友達らが方々から聞いてくれて連絡先がわかった。
5分10分の立ち話でお礼出来れば良かったのだが、ご自宅での昼食に誘われた。
光栄なお誘いだった。
彼女の家はコンブリットにあった。
コンブリットは造船所の進水のベースになっている綺麗な入江で何度も訪れていた場所だった。
彼女とは何故か街の薬局で待ち合わせることになった。彼女自身で運転する車の後を付いて行った。
なるほどなるほどナビに無いような道なき道を走ること15分、林を抜け空が開けた。
そこには石造りで周りの自然と調和した落ち着いた素敵な建物が現れた。
大きな愛犬に迎えられた。
サンマロで手に入れたお土産を手渡しシャンパンのお礼を言った。
彼女が用意した食べごろのトマトベースの前菜がとても美味しかった。
彼女が作ったシンプルな魚料理も最高に美味しかった。
魚の旨味が良く出て何かしら心が和んだ。
前日サンマロでの夕食で魚料理を食べたくてオーダーした物が漁師の家育ちの私にはソースに邪魔されて魚本来の美味しさが打ち消されて美味しいとは感じなかったので、日本に帰ったらちゃんとした魚料理を食べようと思っていたところだった。
彼女もフランス料理に対しては同じ意見だった。
後になってわかったが彼女はカリブ海あたりの出身らしい。納得
デザートに熟れたイチゴを頂いた。
食事中に「次の計画は?」と尋ねられた。
迷える52歳の私(というより外堀を固めてから本丸に攻め込むタイプの)はお茶を濁した。
最近Brestに日本食屋が出来て、気に入っているらしい。
日本酒もファンになったという。
次回の渡仏時には一緒に行こうと話した。
(この次の渡仏時に私のお気に入りの日本酒をプレゼントした)
ロリアンにあるタバルリーの肖像画が誰なのがわからなかったことなど、色んな話をした。
タバルリーはヨットで日本に来たことがあるのだと、彼女の話で初めて知ることになった。
「後ろに彼がいるわよ」
ハッとして振り向いたら、そこにはタバルリーの絵があった。
タバルリーの家の中には石造りの外観から想像できないような空間が時を操っていた。
広い空間にはタバルリーのコレクションが所狭しと置いてあった。
生前時のままの彼の居場所が今もそのまま残されていて、まるで息遣いが聞こえてきそうだった。
一瞬彼女が奥の部屋に消え私へのお土産だと何か抱えて戻ってきた。
なんとそれは、分厚いタバルリーとペンデュィックの写真集だった。
素敵なプレゼントを頂いた。
あっという間に時間は流れていた。
「ここに来るためにプレゼントを持ってくる必要は無いのよ。
日本に行ったことのあるタバルリーが、貴方をここに連れてきてくれた。
それが何よりのプレゼントだから」
素敵な言葉に心打たれた。
偉大な男の影に偉大な女あり。
「ところで次の計画は?」
「心が何処を向いているのか見抜かれているな」
75歳の素敵な彼女とまたの再開を約束した。
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